「プラモと私」

 

〜第一章・小学生時代〜


私がはじめてプラモを作ったのは、小学校2年生の頃だったと思います。
最初に作ったキットは忘れもしない「タミヤ1/24スカイラインGT-ES4ドア」でした。
当時の私にはフロントサスを組み立てることができず、竹ひご(!!)を通してムリヤリフロントタイヤをくっつけましたっけ・・・。
その結果、フロントが下がりホットロッドスタイルになってしまいました。当時からノーマルでは作れない体になっていたのです^^;
この時は塗装もしましたが筆がなくて、代わりに割り箸の先を細く削ったもので塗りました。強引ですねぇ〜。

 

そして、ここから私の輝かしき?プラモ歴がはじまったのです・・・。

 

小学生時代は、周りが「ビックリマンチョコ」だの、「ミニ4駆」だのに心惹かれている中で、
唯1人「1/24スケールモデル」 ばっかり買ってました(笑)
このころ主に買っっいたのは「アオシマ」、「フジミ」のキットで、シャコタンになるのが必須条件でした。
なんせ当時の愛読誌が「ヤングオート」だったもんで^^;

たまにタミヤも買いましたが、タミヤは基本的にノーマル車にしか出来なかったのであまり積極的には買いませんでした。
あ、あとLSもよく買いましたね。LSのキットはどれも超シャコタンになるし、車種的にも渋めのラインナップで結構好きでした。

 

小学生時代は、色を買う余裕がなかったのでとりあえず無塗装で組んで、あとで気に入った色を買ってきてボディを塗るという感じでした。
内装は基本的に無塗装のままです。だから成型色が白一色のものより色分けされたものの方が嬉しかったです。
もっとも、 今と違って無塗装で組んでもそれなりに箱絵に近くなるよう、割と細かく成型色が分かれていた気もします。

使う色はグンゼの「水性ホビーカラー」でした。
筆が水洗いできるのでうすめ液を買うお金をカラーに回せることと、臭いがそれほどきつくない所がポイントです。
ボディに塗る色はこれまた愛読誌の影響で、紫とかピンク(笑)が多かった気が^^;

そして、当時はとにかくはげしく改造を繰り返しました。もちろん最初は説明書に従って組むのですが、しばらくたつと新鮮味がなくなってきます。
そこで、ボディの色を塗り替えるという手段に出ます。もちろん下地などお構いなしに上から塗り重ねます。
また、当時は雑誌に影響を受けやすく、いろんな部品をつけたりはずしたりを頻繁に繰り返しました。そうするとボディには接着剤の跡がたくさん残ります。
それを消すためにまた色を塗るの繰り返しでした。

そして、それを繰り返すと当然ボディがボロボロになってきます。そうなるともう最後です。
おもむろにハンダごてを取り出し、部屋の中をダイオキシン臭くしながら屋根をぶった切って、ヤケクソ・オォプン (笑)にしてしまって、
そのプラモはまるで当時のヤン車と同じような最期をとげるのでした。

本来金属を溶かす道具ですから、当然プラモは面白いように溶けます。
それがいつしか快感(?)となり、あわれプラモは次々と餌食になっていきました・・・。
あと、タイヤを別なものに替えようとしてサスペンションを壊してしまい、それで廃車ということもよくありましたっけ。

ちょっとした変化があったのは、4年生のときでした。
このときクリスマスプレゼントとしてもらった「デコトラ」のプラモを初めて作ったのです。 1/32のだんとつレンジャー「流浪星」と、ミニデコ「飛雲」でした。
これ以降、しばらくの間1/24と1/32を並行して買うようになりました。

デコトラはすべて成型色がついているのが特徴で、そのまま組んでもそれなりにサマになるのがとてもよかったですね。
そして、デコトラの場合も部品をつけたりとったりしてボロボロになり、最期は足回りがイカレて廃車というパターンが多かったです。


こうして小学生時代に作っては壊したプラモの数は数え切れません。

 

 

〜第二章・中学、高校時代〜

 

中学生になってからも相変わらず同じように作っては改造し、最期はボロボロ・・・というパターンが続いてました。
そんな中には今となってはプレミアもんの超お宝キットもありました。もしタイムマシンがあったなら、当時に戻って奪い取って来たいぐらいです(笑)
まあ、そんな犠牲を払ってこそ技術の向上もあるのですが。

 

そんな私のプラモ歴で、最初の衰退期が訪れたのは中1の後半頃でした。やはり中学生ともなれば色気づいてきます。
今までプラモに使っていたお金はCDなどに消えるようになり、自然とプラモを買うことはなくなっていきました。
中2〜中3のときはほとんど買ってなかったと思います。

 

それが、高1の終わり頃からまた買うようになりました。
しかも今度は前と違い、ちゃんと内外装に色を塗ってから組むようになりました (そもそもこれが当たり前)。
ただしまだ筆塗りで、内装も持ってる色数が少ないのでつや有りのままの色を塗ったりと言う程度でしたが・・・。

 

復帰第一弾は「アオシマ1/24Sパッケージ・R32スカイライン4ドア」でした。
なんか箱絵がすごくかっこよくて買ったように思います。

これ以降、また以前のようにちょくちょくプラモを買うようになりました。ちょうどこの頃近所にオープンしたスーパーのプラモコーナー(テナント?)がけっこう充実していて、
プラモを買いやすい環境が出来たというのも一因です。
この頃は以前に比べてスポーツカー(主にフジミ)やオシャレなドレスアップカー(主にアオシマ)を買うことが多くなり、
いかにもヤン車って感じのを買うことは激減した気がします。
それは当時シャコタンに出来るキット自体が少数派になっていたためでしょうか。
何しろ新金型のディスプレイキットはすべてシャーシがリアルになった反面で車高は選べなくなっていたのですから。
現在のシャコタンキットのバリエーションの豊富さを思えば、このころは過渡期という感じもします。

 

高2のとき、しばらく途絶えていた「デコトラ」を再び作り出しました。
きっかけは当時ハマリだした「高橋留美子」のマンガの絵をトラックに描いてみたいと思ったのです。今で言うと「痛車」に近い感覚ですかね?
当時は、まさか痛車ブームがくるとは思いもよりませんでしたけどね。

まあ、描くといっても
トレーシングペーパーに原画を写し取り、ポスターカラーで着色して切り取って貼る(^^;)
という原始的な手法でした。
今ならスキャナで取り込んで印刷とか、割と簡単にできるんですが。

この頃になると、稚拙な出来でしたがプラバンで飾りを自作することも結構やりました。当然色も塗るようになりました。
1/32のデコトラはこの頃を最後に買ってませんが、 今のデコトラキットは当時よりかなり精密になっていますし、
キットパーツの飾りもより実車に近い構成になっていたり改造材料も豊富にあって、隔世の感がありますね。


また、この頃から、近所のスーパーの品揃えの影響で、使う色がグンゼカラーから水性のタミヤカラーに変わっていきました。
高校時代は1/24、1/32ともに実車っぽいリアルさを自分なりに追求し始めた頃だと思います。

 

 

〜第三章・予備校、大学時代〜

 

高3の終わり頃になると、だんだん内装につや有りの色を塗ることに違和感を感じ始めました。布などの質感が出ないからです。
だからといってつや消し色を塗るまでには至らず、成型色が茶色やグレーのときに無塗装のまま組んで少しでも質感を出そうとする程度でした。

予備校時代は、はじめの頃こそほとんど買うことは有りませんでしたが、冬になるとそれまで買わずに押さえていたものが一気に噴出し、
狂ったように買いまくりました(笑)
この頃はとにかくVIPCARにハマッていて、ボディはほとんど白パールで塗っていましたが、
パールは筆だとどうしてもムラになってしまうので、このころから缶スプレーを使い塗装をするようになりました。

 

そして、大学入学後は第二の衰退期に入ります。なぜなら、
バイトのお金はほとんどクルマの購入代金のために貯金していたためでした。 それでも何ヶ月かに1個くらいは買ってましたが。

クルマを買ってからも、いろいろなパーツ代のためにプラモに回すお金はなかなか有りませんでした。
それが変わってきたのは3年の終わり頃からで、バイト代で買えるようなパーツはあらかた買ってしまい、お金に余裕が出来たのでまたプラモを買うようになりました。
もうこの頃になるとボディはスプレー塗装、内装もちゃんと塗り分けるようになっています。
大体月に2〜3個以上は買ってたように思います。

この頃になると、買ってすぐに組み立てに入るのではなくて、ある程度数がたまってから一気に作るようになりました。
何かと忙しくすぐ組み立てに入れないのがそもそものきっかけでしたが、ボディを塗装して乾かす間に内装に色を塗り、全部乾いてから一気に組むほうが効率が良く
仕上りもキレイだというのに気がついたからです。
なんせせっかちな性分なので、色を塗りながらの組み立てだと塗装が乾くのを待ちきれないのです^^;

そして、1台を改造を繰り返して最後に廃車という以前のスタイルから、
バーッと作ってズラーッと並べる
というスタイルに変化していきました。
まずクルマのコンセプトをある程度決めてから作るようにして、そのためのパーツ(主にホイール)もあとで揃えるのではなく最初から買い揃えるようになりました。
これにより、完成後に手を加えることはほとんどなくなった分、台数が増えるペースも速くなった気がします。

 

 

〜第四章・就職から現在〜

 

大学も卒業し、無事に就職。

 

収入が飛躍的に増加したのと裏腹に、時間はまるでなくなりました。 なのに、たまの休みともなるとプラモをたくさん買ってきてしまいます。

また、昔ほしくても買えなかったプラモがじゃんじゃん再販されるので、
買えなかった昔の恨みを晴らすかのように?買いまくってしまったり、
現行品でも「いつ絶版になるかわからない」と思ってとりあえず買ったり、
ネットオークションを見ていてついつい思考停止して大量落札したり、
そんな調子で積みプラが最大で100個ぐらいになったこともありました。
いつ作るんだよこれ?という状態です。

 

そして、三度目の衰退期。
ある日突然、「物を捨てたい病」にかかりました(笑)

数え切れないほどあった完成品を、あまり満足いかないものから順に休みのたびにゴミ袋に放り込み、大量にあった積みプラはネットオークションで大処分。
「完成品は引越しのときどうしよう」などと考えながらスプレーと筆と工具を手にする日々はどこへやら、いつのまにか手元に残ったプラモは数台。
それすら、引越しを機にすべて処分。
もうお宝キットとかジャンクでもオークションで売れそうとか、まったく関係ありませんでした。何せ病気ですから^^;

 

道具やジャンクパーツもすべて捨ててしまい、それ以降プラモとはすっかり縁を切った生活になりました。

 

 

そんな生活を数年送りつつも、新製品や再販の情報なんかは割とこまめにチェックしていて、何度も誘惑に負けて買いそうになったことも^^;
プリペイントモデルがあったり、車種や改造パーツも豊富になり、そもそもキット自体がものすごく精密になっていて、
技術の進歩を常に感じていました。

 

そして、そんな生活が変わる日がやってきます。

 

ある日、ネットオークションで見かけた1/20のLS製ソアラ。しかもエアロタイプとかなりレアな一品。
なんとなく入札してしまったところ、競りつつも落札できてしまいました。

一台買ってしまうと、もういけません(笑) 堰を切ったように大人買いです。
あっという間に10台ほどのキットが手元に。
ただ、 今回は最初のきっかけが1/20だったので、買ったのも基本的に1/20ばかり。
1/24よりは品数が限られるので、かつてのように増えることも無いでしょう。

道具も何もなかったので、一から揃えなおしました。
ニッパー、デザインナイフ、塗料、接着剤etc・・・それだけでかなりの出費です。
それにしても、今は道具も進化していてすごいな〜と思いました。

そして、今回はついにエアブラシも購入したのですが、これは感動しましたね〜。
スプレーだと色が限られる上に、塗料の色が広範囲についてしまって後始末が大変でしたが、これならそれらの問題はかなり解決です。

 

ちなみに、出戻りの完成第一弾はマイクロエースの1/20・GX51クレスタです。
キットは同社の1/24のキットとさほど変わらない部品構成で、それでいて実車のスタイルをよく再現している良作キットなので、リハビリにはちょうど良かったです。
それにしても、久々のプラモ作りはやっぱり楽しい!
ミニカーだと買って終わりだけど、プラモは自分で考えながら形にしていけるので時間も忘れてしまうほどです。

 

そんなこんなで、今後もゆる〜くプラモ生活を楽しんでいこうかな?と思う今日この頃です^^